目を見開いたかと思えばぎゅっと瞑り、SM57にかじりつくように歌う。あの赫い髪の少女は、笑顔のよく似合う子だった。そんな子がどうしてあんなに叫ぶんだろうという漠然とした疑問は轟音の渦に飲み込まれ、会場のボルテージへと変えた。ふらつきそうな程の激しいロック音楽が私の手を思いきり引いた。
思えばメジャー・シーンでこんなに感情を露呈するアーティストは最近じゃ誰がいるんだろう。剥き出しにすることをダサいとしつつ、一歩引いた余裕を見せつけるような、おしゃまな曲が席巻する中で、彼らの存在感は私にとって偉大なものだった。大槻ケンヂが高木ブーを貶める光景や、北嶋徹が「unraveling the world!!」と喉から発する様や、千代谷竜司がマイクを額にぶつけてのたうち回る時の緊張感は、どんな美辞麗句やキザな言い回しよりも感情をダイレクトに、ハッキリと、魅せている。
そうした感情の爆発というか、その感じは、焚き付けられたねずみ花火のような、いや、理不尽を突きつける上司に花瓶を叩きつける瞬間のような、いや、むしろ、あの、なんというかそんな言葉やらで例えてしまうことがもしかしたら無粋なのかもしれない。もちろん、これが過激な行為に変わりはないし、その需要曲線を証明しているかのように人々はいつも安全圏から過激なものを求め続けている。
これを見てる僕たちは、知ったような口と弱々しい態度で行われる薄桃の伝言ゲームに飽きている。そんな衛生的な産業音楽に中指を立て、ライブハウスでは今日も音に乗せられた人間が人間に乗り込み、ぶつかり、跳ねて、殺し合うような過激な様子が繰り広げられている。その恐ろしささえ感じるような風景でも全く埋もれず鮮やかにその音を鳴らす高校生が、そこにはいた。
二〇二四年。気の触れた連中が集まる日本の首都のやや左に偏ったところで私はとんでもない噂を聞いた。
「ナンバーガールにイースタンユースと崎山蒼志を掛け合わせたようなバンドが高校にいる」──以前より趣味でライブハウスに足繁く通うことがあったが、まさか高校生のバンドでそんな面白いことをやってる連中がいるとは思いもしなかったし、それがどんなバンドか想像できなかった。
しかし、学内ライブを見に行くと噂の真相が分かったうえに、自分の中の距離感はなくなっていた。むしろ、このバンドが何者かに奪われる前に自分がどうにかしたくなった。
ドドバコベコドゴと転がり込むドラムのフレーズに、ボトムを蹴り飛ばすようなベース、そして空間を切り裂くような2本のギター。そこに、無垢な少女のパツパツに張った声が会場に響いては、置いてかれそうな自分を夕焼け色へ攫いに行くような、そんな清々しさを感じた。
私が見に行ったライブは、部活の連中がやりたい曲をその日限りのバンドを組んで行うようなライブで、ハッキリとしたバンドは彼らしかいないとの事。そして彼らも休止明け一発目のライブだったり、休止前の形態での活動が芳しくなかったこともあって、実質初ライブのようなものだったが、終了後の話題は彼らのことで持ち切りだった。それほど、校内やこの辺りの一般客の心を鷲掴みにして行ったのだろう。売り切れる前に自主制作盤の2曲入りのデモ「ANGUISHING SEVENTEEN」を手に入れることが出来たのが救いだった。
高校生のバンドでこんな真面目くさったことを書かれることも稀らしいので、まずは私が把握出来てるだけのメンバー紹介をしようと思う。事実と違うところがあるのでそこだけはご了承ください。
このバンドの仕掛け人はギターの渡瀬慎也で、去年の春だったという。学校でも指折りの優等生に入る彼は、幼少期の物心から中学時代までの青春を溝底にかなぐり捨て、引き換えに音楽の才能を恣にした。叔父とのブルースセッションというとてもベリーグッドな英才教育もそれを助けている。叔父の趣味から枝分かれするように、王道ロックから尖った日英米のバンドを聴くようになったらしいが、彼の口からは色んなバンドの名前が出る。54-71、ナンバーガール、ブラッドサースティ・ブッチャーズ、ストレイテナー、アメリカン・フットボール、ニルヴァーナ、レディオヘッド、オアシス、マイ・ケミカル・ロマンス、凛として時雨、ハイスイノナサ、ポリフィア等々。場所や音楽性もバラバラなんだけれど、この辺に気持ちいいエッセンスを感じるので、その周辺のバンドは好んで聴くとのこと。
元々3年になるまでの代で1~2年の頃は圧倒的に部員数が少なく、1年の頃は満足にライブができなかったので宅録で曲を作り続けていた。唯一ドラムができるのが当時の先輩1人だったということもあり、2年になってドラムの後輩を誘う形でバンドを結成。ゆらゆら帝国のしびれ・めまいからインスパイアを受け、三半規管を揺らすような強烈なロックをやろうという信念のもと、「San Han KikanZ」という名前がつけられた。
彼に引っ張られる形で入った同級生の榎本康介は、主にグリーン・デイやダムド、デス・キャブ・フォー・キューティーなどのポップパンクやエモにルーツのあるベーシスト志望で、直情的なラインをピックで突っ走るのが得意。その土台に仁川巌の攻撃的かつ反抗心マシマシなドラミングが押し上げることでバンドの基礎が固まる。
2年になって、自分たちの代が活発になると友達と一緒に隔週の行事として定例ライブを企画する。隔週での定例ライブでは、部員が少なかったり友達しか集まる機会がなかったので、友達のリクエストにも応えつつ、オリジナルもやるという方式を採って地道にライブ活動を行っていたそうだ。それから、オリジナルはライブハウスで行ったり、学校で録音をして自主制作盤を作ったり、今のバンド活動に通じる土台を作り上げていく。しかし、ライブハウスではノルマが足りず自腹を支払わされたり、難解な世界観はどのバンドと組んでも自分たちが出た時は棒立ちで見られてしまうなど、認められずに燻り続ける日々を送る。ついに解散が脳裏をよぎるまま、3年へ進級する。
進級して5月の定例ライブで解散を考えていた彼らが惹かれたといわれる歌声の持ち主が、重音テト。赫い髪の少女ということもあり、ナンバーガールを聴き漁っていた渡瀬は一目惚れする形で彼女をバンドに誘い、参加決定。その歌声を知ったのが、4月の体験入部。今まで新入生歓迎ライブを行っていたのを、楽器を触らせたり予め用意した曲で生演奏のカラオケをさせるなど、新入生の体験を豊かにするために行った企画で、重音の歌声が非常に抜けが良く、通りのあって力強い声だとして、バンドに足りないものだと確信する。
それまでバンドは榎本が歌っていた。あのパワフルでルードなベースには似ても似つかない透き通ったアルトサウンドである彼の声は、渡瀬の作詞による終末的な詞世界とおかしいぐらいに噛み合っていた。しかし、結果としてそれがバンドとしての分かりにくさをもたらしており、やりたいことだけではどうにもならないと痛感させられたのである。
2年の頃を振り返り、今度はもっと分かりやすいことをやろう、と自分では難解になりすぎてしまう作詞を榎本に無茶振りをし、重音に歌わせる形でバンドは再始動する。結果的に、この作戦は功を奏し、5月の定例ライブは全編オリジナルで成功を収める。
重音の小柄な身体からはとても想像できない声量は、男気集団のしごきもあったのだろうが、もともと彼女に秘められていたエネルギーを想起させる。バンド内で最年少、紅一点でありながら、それで埋もれない個性を充分にステージで発揮できる姿勢は、ライブを見た知り合いからも多くの賛辞が寄せられている。
再始動後の彼らを見ている私は、新日本表現社主宰として音源のリリースを委託する他、レコーディングの補佐も務めていた。声を掛けた時に若干嬉しそうな顔をしていた渡瀬が印象に残っている。あれだけ音楽的に込み入ったことをしているからか、会話してみると時々彼の年齢を疑うのだが、あの時の表情は、たしかに彼が高校生だったと証明するような、そんな顔をしていた。
8月と12月にそれぞれリリースをした「FICTIONAL SCHOOLGIRL AND BAND」と「CHAOTIC HISCHOOLIC DISTORTIONALIC ROCKERS」は新日本表現社スタジオでの収録である。この辺りから聴けるサウンドは、彼らのルーツ・ミュージック。この頃から今でも通じることだが、やっていることはほとんどナンバーガールのオマージュにも近い。重音のギターワークには向井秀徳のオレ押さえがふんだんに盛り込まれており、かつ、1年にも満たないギター歴の彼女でも弾けるコード進行を圧倒的な編曲力でキャッチーにしている。そこに付け焼き刃のつもりだった榎本の、等身大目線の朴訥な作詞が調和して、結果的にバンドに新たな風を吹かせたということなのだろう。
その2作を踏まえて、自作である「少年たちの挽歌」は、オマージュから脱却しつつ、より高校生であることの価値や青春、またそれによる軋轢などに焦点を当て、高校生にしかできないポスト・パンクへと変貌していく。元が映画のサウンド・トラックであると言われる本作だが、表題曲とあとの2曲ではやはり榎本による作詞が光っている。また、バンドアンサンブルの美学を拡大し、RE-201などのテープディレイにも手を出し実験的なことも行いつつ、それでいて4人のサウンドを曇らせないという渡瀬の発想力や作曲力には驚かされる。
今後も精力的にライブ活動やリリースを行っていく。4人それぞれが圧倒的な個性をぶつけ合い、そのどれもが埋もれずハッキリと尖りを見せている。これから先、彼らはいったいどこへ行くのだろうか。その終着点が卒業だとしても、解散だとしても、何にしても、私を信頼してくれている以上はそれに答える必要があると思っている。
以前インタビューした際、「多感な時期の高校生だからこそ、衝動の詰まったロックが似合うと思ってる」と言っていた渡瀬だが、高校生じゃなくなったとして方向性が変わったとしても、私はバンドの才能を信じているのでこれからも彼らについて行きたいと思った。